『美しき、ひたむき』

イントロダクション

「舞台を始める前に」
或る時、「古典は古くさいよ」と言われたことがあった。
もちろん戯曲は、人間の普遍的な心情と同じく、パソコンのように進歩などしない。
古いとか、新しいなどという基準では当てはまらないのだ。

それは時間的に、昔に描いた作品か、最近描いた作品かだけの幼稚な言葉だったのである。
だが、『古典』と聞くと、どういう訳か取っ付きにくく、読む前に変な力が入ってしまう----
というのも、よく理解出来るのだ。

そんな「古くさい」と思われる原因はどこにあるのか?
そんな疑問が、私の中で長い月日の間、浮遊し続けていた。

何十年、何百年もの時代の荒波を乗り越えてきた、いわゆる『古典』には、
流行だけで風化した作品や、初めから見捨てられた作品とは、
確実に違う「何かを持っている!」のである。

例えば----日本で長年生き残っている寿司の食文化。

全国の寿司屋の中でも、一流と言われる寿司を食べずに、
現代の演劇界、芸能界は、「マクドナルドが美味しい」
「いや、モスバーガーの方が美味しいよ……」と言っているような、
低レベルな会話のようなものであると気付いたのだ。

その「何かを持っている!」の理由を見つけ出したい! 
という一心で、今回の作品を創り上げていった。

この『古典』の西洋作品を、いかに「親近感」を持って観て頂けるか、
それ一つが、今作品の勝敗の分かれ目であると考えています。


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今年、3月11日に起きた東日本大震災を目のあたりにして、
自分には何が出来るのだろうか…… と、ずっと考えてきました。

脚本を描くことしか出来ない自分ではあったが、
『何もないゼロから、イチを生み出せる--』という言葉を思い出した時、
創作者のハシクレとしては、今、日本のために出来ることは、
大きな想像力と、ひたむきな情熱さえあれば、
地震や火災、津波などで失われたゼロの街も、必ず新しいイチが創り出されるンだ----
ということを伝えられるのではないか…… という動機がありました。

作品を創るにいたっては、
まず、古き良きモノを新しく、換骨奪胎できる作品であること。

そして、より手創り感が出せるモノ----。
そこで私は、舞台を上演することが一番だと考えました。

そこで、1953年のフランスで創作された古典、
ジャン=ポール・サルトルの『キーン』というコメディーを選択したのです。

震災を受けた人たちへの思いも込めて、辛い時には心からの笑いを----という考えで。

最後に、今公演で得られた収益金の一部を被災地へ寄付しようと考えております。


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